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  1. 珈琲タイム

最近の出来事


免疫学10周年記念会(2025.2.8 アーバー)

鹿児島大学免疫学(原博満教授)の10周年の記念会が2025.2.8の鹿児島では極寒となった土曜日の夜に、鹿児島中央駅近くのカフェ・アーバーで開催された。

原博満教授のこの10年を振り返った挨拶で始まった。現在、研究費の獲得が出来ていているが、今後は、少し頑張って研究に専念して行く必要があるとのことであった。

 私も、原教授に客員研究員にして頂き、研究費の申請をしてきたが、まだ、研究費の獲得には至っておらずに、そろそろ論文が必要だなと思った次第であった。また、第2生化学の小澤教授も、現在、免疫学の客員研究員として活動されていると、この会でお会いして知った次第である。

教室員から、お祝いの花束と記念の焼酎の贈呈があった。


佐多保彦さんを迎えた鹿児島のシバリエ会(2024.3.6 アーバー)

ブルゴーニュ ワイン騎士団の鹿児島のシバリエの会が、騎士団の日本支部の設立に関わった東機貿の佐多保彦さんを迎えて、野添良隆先生が、アーバーで開催された。ワインを飲みのお出でと誘われて末席に参加させて頂いた。宴もたけなわになり、佐多さんが、最初にブルゴニュに行って、ロマノコンチを購入しようとしたところ、そう簡単には買えないんだよと言われたのだそうだ。その後、フランスで城を購入して、ホテルとして経営されていること、アーバーがイタリアレストランであることからイタリアでもワインショップを経営されていることなどを話された。佐多さんは、現在、積極的には騎士団のシバリエを増やそうとはされていないそうだが、ハイソな集まりで、会員募集をやる必要もないようだ。佐多さんは、知覧島津家の島津久峰の次男の佐多直隆の四男で、鹿児島医学校から東大、そして、阪大医学部の創設に関係した佐多愛彦の5男の佐多保之の長男で、鹿児島とのつながり(ルーツ)を感じておられるのだそうだ。


2024年敦煌会新年会(2024.1.27-28, グリーンピア南阿蘇)

2024年敦煌会新年会は、グリーンピア南阿蘇に、一泊2日の森山マイクロバスでの小旅行であった。初日は、阿蘇の外輪山を越えて、熊本地震で倒壊後に再建された大きな橋を通り、東海大学の農学部の阿蘇キャンパス痕のメモリアル施設を見学し、南阿蘇のグリーンピア南阿蘇にて、一泊した。そこからの南阿蘇の山々の素晴らしい景観を堪能したが、翌朝には雪景色となり、どうにか、阿蘇山を一周して、北の阿蘇神社を訪ねた。

熊本地震で倒壊した御楼門も再建されて、阿蘇の一宮の風格と取り戻していた。


2023.11敦煌会柿狩り旅行

敦煌会2023年の柿狩りは、野添良隆先生のたっての竹田の竹灯籠祭りを訪ねたいとの希望で、森山バスの一行とは、田主丸の柿園で落ち合うことにして、熊本から阿蘇を抜けて,竹田を訪ねた。

熊本から阿蘇の外輪山を越えて、雪の北阿蘇を眺めながら、夕方に豊後竹田に到着した。町はずれのグランドの駐車場に車を置き、バスで、竹田の市街地に入った。夕闇が深くなる従って、竹灯篭の並んだ道や仏閣につながる階段に趣のある竹灯篭の並びを楽しんだが、加瀬も強く、竹灯籠の多くが消えていた。しかし、市街地の中の六羅漢に参道は竹灯篭が広がり、風情があった。8時過ぎには、豊後日田に向かって、阿蘇の」外輪山の中を疾走して、10時過ぎに、日田のルートインに到着した。翌日は、午前中に、豊後の森機関庫を見て、田主丸に向かった。

田主丸の柿園の合流時間には、少し余裕があったので、筑後の一宮の高良大社を訪ねた。あの九州王朝の王宮があったのか玉垂宮という社殿には、風格を感じ、また、そこからの久留米の市街地の遠望は、ここに何らかのものがあったと思わせるものであった。


鹿児島日独協会第219回例会(講演会)2023.6.11

鹿児島大学での「来日100周年記念 アインシュタインの日本講演旅行」展(主催:ドイツ大使館)に合わせて、鹿児島日独協会で、川内まごころ文学館学芸員の財部智美氏の「アインシュタインを日本に招いた川内出身の山本實彦の生涯と業績」の講演会があり、野添良隆先生と一緒に、参加して来た。

 川内出身の山本實彦氏は、改造社と云う出版会社を大正期に設立し、その出版雑誌等の成功を収め、その資金を元に、大正11年にアインシュタイン招聘し、アインシュタインの日本公演旅行を企画・成功させて、その後も、交流も持ったそうだ。

 

また、「湯川は扉を開けて驚いた。彼のヒーローでもある、70歳になろうかというあのアインシュタインが、湯川の両手を握り締めて激しく泣き出したのだ!そして、何度もこう繰り返した「原爆で何の罪もない日本人を傷つけてしまった…許して下さい」。原爆はアインシュタインが1905年に発表した特殊相対性理論、E = mc2という公式を基にした兵器だった。アインシュタインはナチスの迫害を受けてアメリカに亡命したユダヤ人。彼はヒトラーが原爆の開発に着手したことを知って危機感を持ち、1939年、ルーズベルト米大統領に対して「絶対にドイツより先に核兵器を製造せねばならない」と進言したのだ。

※1954年、死の前年にアインシュタインは「もし私があのヒロシマとナガサキのことを予見していたなら、1905年に発見した公式を破棄していただろう」と語っている。}

目の前で世界最高の科学者が肩を震わせて涙に暮れている姿を見て、湯川は大変な衝撃を受けた。「人間」アインシュタインの良心に触れた彼は、学者は研究室の中が世界の全てになりがちだが、世界の平和なくして学問はないという考えに至り、以後、積極的に平和運動に取り組んでいく。彼はまずアインシュタインが推進する世界連邦運動に加わった。(https://yamamoto-sanehiko.com/index.php/about)

 

 

 原爆開発のマンハッタン計画が成功したのは、英国首相のチャーチルのチューブ・アロイズ計画によるイギリスの技術者のマンハッタン計画への協力により初めてマンハッタン計画が成功し(NHK BS1スペシャル)、米国の軍部内部問題からの執拗な戦争遂行と焼夷弾と原爆使用の切望があったことが明らかになっている。歴史に「もし…」はあり得ないのだが、チューブ・アロイズ計画がなかったら、原爆は戦後に完成しても、実際に使おうと云ったことにはならなかったのではないかと思われる。


2023年病理学会オンライン参加

 2023年度の病理学会もオンライン参加であった。

 どうにか、オンデマンド配信で、主な講演の視聴をやっと終えた。

【分子病理学】がんの病理検体での遺伝子診断が始まって間もない時期であるが、実際に最適な抗がん剤や分子標的薬での治療に貢献したのは1割程度であるそうで、やはり大多数の症例では、標準治療が行われているようだ。

 一方、分子病理学的研究は、かなりの成果がまとまって来ているようで、エピジェネチックな変異であるメチル化は、発癌への諸段階の変化ががん周囲の細胞にも固定されているのが明らかになって来てるようだ。ただ、組織幹細胞の癌化による発癌であると考えると、癌化の遺伝子変化が生じる前の諸変化は、組織幹細胞が被った変化であるが、そういった変化は組織幹細胞の正常分化にて無効化されたものであり、どの程度、組織幹細胞の癌化に寄与したのか不明ではないかなと思われ、癌化に寄与するドライバー遺伝子の変化を、その下流のエンハンサーの異常等で把握する必要があるように思えた。

 また、癌幹細胞に関して、現在、多く検索されている進行癌では、種々のレベルから脱分化したもの等が見られるそうで、更に、ウイルスの系統樹様の解析も行われているようだが、ドライバー遺伝子の欠落等も見られる癌の遺伝子変異には適応できないそうだ。進行癌の遺伝子変異等の解析研究には、病理専門医の癌細胞の形態学的理解が今後期待されるそうだ。やはり、早期癌での遺伝子変異やドライバー遺伝子の同定とその後のプログレション段階で付加される変化を見ていく必要があるようだ。進行癌の中での形質の変遷を解析する方法が開発されようとしているそうだが、そういった遺伝子解析法の早期癌診断への導入が期待されそうだが。兎角、この手の方法はかなり難しそうで、待つしかなさそうだ。

 消化管間質腫瘍(GIST)の今昔での責任遺伝子の解説は非常に興味深いものであった。c-kit陰性GISTが比較的良後良好で、SDH欠損GISTは抗c-kit分子標的薬が効かずにより悪性だそうで、c-kit関連の増殖機構以外のより良後良好と悪性のドライバー遺伝子があるのだろうか?更なる研究の展開が待たれるようだ。更に、分子病理学の進展にて、腫瘍分類がアップデートされて来ているのだが、コンパニオン診断と遺伝子診断の結果が、病理施設の病理専門医には届いていない現実は、患者医療の為にそういった情報が主治医に集中して来ることから、最終的な病理診断は主治医との共同作業で実施することが必要になるようだ。

 胎盤の病理は、昔、多くの胎盤の切り出しをしたが、余り基礎知識なくやっていたなと反省する次第だ。宮崎は、最近の二代の学長が産婦人科出身であることからも、胎盤の病理に力を入れているようだ。大いに、勉強になった。

 また、コロナウイルスの炭素イオン蒸着の新型捜査電顕で、浸潤性血管炎や肺や心臓での間質でやはりマクロファージとコロナウイルスのクロスから、自然免疫の暴走の引き金が引かれているが判明して来ているそうだ。コロナ感染での肺動脈血栓症や心筋炎も、説明されて来ているようだ。

 

 生体イメージングのぶっ飛んだ研究では、透明化技術の開発と二光子傾向顕微鏡よりも深部まで見れる蛍光顕微鏡が開発されているそうで、実験病理学の強力な研究ツールでありそうだ。分子病理でも,生体イメージングでも、研究機器開発、試薬開発等が出来る施設でしか実施できなくなるようで、一般人体病理施設には、到底導入は難しいものであるようだ。


2023年敦煌会新年会旅行(宗像大社、宮地嶽神社)

新型コロナウイルス感染症の流行で、延び延びになっていた宗像大社と宮地嶽神社への一泊旅行を、どうにか2023.2.25-26に敦煌会新年会旅行として実施出来た。参加者は、当初、15名前後の予定であったが、諸事情が重なり、厚地先生夫妻、久保さん、佐藤夫人、野添先生と私の6名となった。

2023.2.25昼過ぎに、いつもの森山バスにて、宿泊予定のロイヤルホテル宗像に向かい、午後6時過ぎに到着し、仕事の都合と蝶の採集友達に会うと、新幹線で向かい、森山バスよりも早くホテルにチェックインしていた。敦煌会2023年新年会を、大きな夕食会場でテーブルを一つ確保して、バイキングディナーで楽しんだ。

2023.2.26朝は、森山バスで、宗像大社を訪ねた。大社に参り、野添先生と裏山の神社の原形とも言われる高宮祭場、裏手の第二宮、第三宮に参り、集合場所とした神宝館に向かった。神宝館では、金環等の沖ノ島宝物等を見て、駐車場の森山バスで皆さんと合流した。

昼に、宮地嶽神社に向かった。

福津の町で昼食を摂り、森山バスで山の上の宮地嶽神社の結婚式場の駐車場まで登り、参拝した。今回は、ちょうど光の道が見えるタイミングで、日没の好天候に恵まれた。

 

昼に、石段の上から、参道、福津湾、相島を望む絶景を楽しんだ。

宮地嶽神社は開運の神社ということで御朱印を貰い、光の道の特別な記帳を貰った。

 

奥の院へも参拝しようかと思ったが、少し大き目のキャスター鞄を預ける所もなく、次の機会に、奥の院の参拝はとっておくことにした。神宝館で、破格な国宝となっている宮地嶽古墳の出土品を見ようかと思ったが案内がなく、結婚式場の受付で聞くと、宝物は九州国立博物館に寄託され、常設展では展示されていないそうだ。船原古墳と同様の埋葬品や石室の石材が相島の玄武岩が用いられているそうで、共に安(阿)墨族の有力な王族の古墳と考えられているそうだ。志賀島から福津、古賀と、漢委奴国王金印から宮地嶽古墳の出土品は、安曇族の王は、倭の五王ないしその有力な将軍であり、中国王朝の将軍職名を戴いていたのかな?とも思われた。

昼過ぎに、鹿児島に早く帰る森山バスと別れ、野添先生と日没を待つことになった。

 

お祭り感覚で、参道の石段に座り、日没を待ち、光の道の出現を待った。丁度、鳥居がフィルターになり、鳥居と石段の間に、参道、海岸線の松林、福津湾、相島を望める趣のある光の道の写真を撮ることが出来た。

日の出や日没は、それを見て、ある意味での神々しさを感じるが、中国人の友人は宗教的な印象を受けるそうだ。光の道は、仏教的には西方浄土といった意味合いを持つのも、仏教徒としてはすんなりと受け入れることが可能であるが、太古から大陸の戦乱を逃れ、渤海沿岸から朝鮮半島海岸域、北部九州沿岸に逃れ、建国した倭族である海人族にとって、光の道は、西方の故郷に夢を馳せるものであり、朝鮮半島や大陸への失地回復の野望をも喚起するものあったのではないだろうか?一方、光の道は、文化交流の道でもあったので、その意味で、宮地嶽神社の開運祈願に通じるものであることを願いたい。

 

日没時に、大太鼓が鳴り、このお祭りも終わった。

コンビニからタクシーを呼び、福津駅から博多駅に向かい、新幹線で鹿児島に帰ってきた。

 

 

2023年度の幸運を期待したい。


敦煌会2022

敦煌会は、国際分子病理学シンポジウム(中国敦煌)の開催で、主に鹿児島からの学術分野と文化交流の分野の参加者の日中交流の鹿児島での親睦会として発足して、関係者の退職等で公的な日程が減るに従って、月1回のペースで懇親会等を持ってきた。この間に、鹿児島日独協会との会員の交流もあり、それぞれの会員の友人関係等で懇親会を持ってきた。このコロナウイルスの流行で、この2年は懇親会も持つこともできない状況であったが、どうにかコロナウイルス感染症の第7波の終息の時期が到来して、2022年最初の例会(懇親会)を開こうということになっている。この間にも、会員や関係各位でも、鬼門に入る方々があった。

鹿児島日独協会のメンバーで、敦煌会と交流のあった吉村望鹿児島大学名誉教授は、腰椎骨折等で北九州で入院加療されていると聞いていたが、2022.3.1に逝去されたということが、佐藤百合子様に連絡があった。

 敦煌会でも、指宿白水館での新年会等で楽しい時間を過ごしてきたので、偲ぶ会を実施しようと、2022.4.24に、川内城山ホテル エスキューブホテル バイ シロヤマでの昼食会として、吉村望先生の敦煌会偲ぶ会を実施した。

敦煌会の顧問であった日高旺先生が、2022.6.17に逝去された。数年前に、2人の娘さんがいる関東に転居し、敦煌会でも千葉で懇親会を開いた経緯もあり、突然の訃報で、国際分子病理学シンポジウム等で特別講演をお願いして来た日高薫教授にお聞きしたところ、誤嚥性肺炎で入院し、コロナ流行の最中で、病状も安定した中で面会できたが、その後、亡くなられたそうで、家族葬で見送られたそうだ。日高旺先生は、第1回の国際分子病理学シンポジウムに文化交流の部で参加され、”シルクロードは、苦しロード”との名言を残されている。また、南日本新聞社長時代に、香港に支社を開設されたそうで、大いに中国の文化歴史に興味を持たれておられた。

敦煌会でも、日高旺先生の偲ぶ会を、例年の霧島でのブドウ狩りと一緒に、2022.8.13に、京セラホテル 京はるかでの昼食会として開催して、ご冥福を願った。


2022年海外学術フォーラム・フェスタ

2022年海外学術フォーラム・フェスタは、2022.6.25(土)の午前10時から4時半のズーム会議で行われ、参加した。

 

講演1. 田中雅一(国際ファション専門職大学教授・京都大学名誉教授)の「なぜ今エッジワークなのか?共同研究に開かれたフィールドワークを求めて」 

 哲学的講演であった。勝手に解釈するのが憚れる崇高な講演であったが、敢えて、私なりの理解を試みた。

現代社会の種々のローカルな人間社会・環境は、社会状況、戦争、災害、事故等で特徴づけられるローカルコモンズであり、ダークコモンズないしアサイラムと表現される病んだ人間社会・環境であり、問題解決を求めた種々の活動がエッジワークと呼ばれ、その結果、問題が解決された新しいコモンズやアジールが生じる。従って、種々の問題解決のエッジワークは推進される必要がある。

これを、フィールドワークで考えると、各フィールドワークカーのフィールドは、ダークコモンズであると飛躍的認識を持つことで、所謂エッジが明らかになり、そのエッジワークの有無を理解することができる。

更に、現代社会が類似した個々人の管理されたアサイラムであり、フィールドでの各エッジワークカーを他者化するよりも、それぞれのエッジを包括することでフィールドでの共同研究が可能となり、新たなフィールドとなることが理解できる。

 

フィールドでの問題の発見とそれぞれの問題に対して解決能力のあるフィールドワークカーの共同研究で、フィールドの問題解決を図る共同研究が期待されるとも言い換えることが可能であるようだ。

 

講演2. 松波雅俊(琉球大学大学院医学研究科特命助教)の「ゲノム情報から復元された琉球列島人の集団史 新学術領域「ヤポネシアゲノム」から」

興味ある講演であった。

新学術領域「ヤポネシアゲノム」は、現代人、古代人、動植物のゲノム、考古学、言語学、人口動態推定といった異分野融合によるヤポネシア人(日本人)の歴史解明を目指すプロジェクトだそうだ。

そして、松波先生は、現代人ゲノム班(斎藤成也国立遺伝学研究所教授)の班員で、琉球列島人のゲノム解析で、本土日本人(ヤマト人)の「うちなる二重構造」の研究の一環で、琉球列島人のゲノム解析を行ったものだそうだ。琉球では。多くの旧石器時代人が発掘されているが、現代琉球列島人との遺伝的なつながりは極めて薄く、宮古諸島や八重山諸島の人々は、琉球列島人から分枝しているようだが、現代琉球列島人とは遺伝的には区別される。更に、琉球列島人と本土日本人は異なる遺伝背景が示唆されているそうだ。宮古諸島人の集団史は、祖先琉球人から移住による分枝を示唆し、江戸時代の明和の大地震 の津波によるボトルネック効果が示されたそうだ。

 

所謂琉球における縄文人の検討は、琉球の貝塚前期の列島人の検討であり、弥生時代のゲノム人類学的理解の契機となるものであるようで、今後の彼の研究に期待したい。

 

講演3. 石川博樹(東京外国語大学准教授)の「エチオピアの栽培植物に関する歴史研究を通して見た学際的共同研究の可能性」

今後の共同研究の構想に関するものであった。以下の項目を検討して、新規プロジェクトの提案に結びつけたいようだ。

1)エチオピア北部では、古代から文字(ゲエズ語:古典エチオピア語)が使われて来たが、残されたものはキリスト教布教関連のものが多い。古代のエチオピアの歴史を理解するには、文字記録以外の方法を模索する必要がある。

2)エチオピア北部では、イモ類(エンセーテ:偽バナナ)からイネ科のテフからのインジェラ(パン)への栽培植物の変化と主食の変化がキリスト教の布教時代に見られ、これがエチオピア内での栽培植物に特徴のある民族移動等への研究の糸口になり得て、今後の学際的共同研究が可能な研究分野であるとの報告であった。

 

3)従来のアフリカでの食物作物に関連した研究プロジェクトからの示唆を考慮。

講演2の討論

 私の責務は、講演をまとめて紹介と言うことであったが、松波先生の準備された資料と解り易い講演で、その必要もなく、討論に入った。

 

ヒトゲノム解析といった話題から、講演の内容の枠を超えて、腫瘍学や免疫学との関連性、縄文人でも、九州の縄文人に関して質問した。今後の研究での課題や考古学とのリンクで日本の縄文から弥生への変遷を、琉球人の観点等からも巨視的な研究の広がりが期待される有望な研究分野であった。

 

午後の全体会議では、豆佐 哲治(日本学術振興会研究助成企画課長)の「科学研究費についての解説と質疑応答」があった。

今年度の学振からの科研費についての改善の試み現状の説明には、少々興味が持たれた。

この海外学術フォーラムと関連のある海外との研究プロジェクトに関して、大きな変更後、新たな科研費項目でも、相手方の海外の学術研究機関の広がりの少なさが問題になって来ている状況を感じられた。

 

やはり、海外の大型学術機関との留学や後進の育成を含む国レベルの研究費の枠組みでは、関係する日本の研究者等からの海外学術研究機関を増やして行こうとする動きは、海外大型学術機関からは都合の悪い動きで、難航することが予測されていたが、実際にその問題は生じている印象があった。やはり、従来の海外学術との二本立ての科研費の海外研究費の枠組みが必要なのかなと思われた。

その後のフェスタでは、第2グループのゾーム発表を拝聴した。

 

宮本 真⼆(岡⼭理科⼤)等の「アジア・モンスーン地域の災害論の転換によるグローバル問題の解決にむけた学際的検討」ではミヤンマーのロヒンギャの問題、佐藤惠子(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)等の「感染症分野におけるNGOの果たす役割」ではセイロンの政変、鈴⽊亜望(神⼾⼤学国際⽂化学研究推進インスティテュート)等の「都市の産業部⾨への⼥性労働者の参⼊状況の分析ーバングラデシュ⾸都ダカを対象として」では中国への債務問題と、世界の諸問題にも関連する話題であった。

 

今回は、最後の挨拶を短時間でお願いされていた。学振の新たな海外との研究費でもんだいとなっている点と共通した問題を、日独リンパ腫セミナーと国際分子病理学シンポジウムの開催に関係して遭遇した相手方の研究者代表のそれぞれのセミナーやシンポジウム開催へのレガシー的貢献を評価して、どのように対応するかが大きな問題であったことを思い出し、それを紹介して、今後の東京外大での海外学術総括班に代わった新たな組織の活動への期待を表明して、挨拶とさせて頂いた。


病理学会2022

今年(2022)の111回病理学会は、経口薬ができたとしても学会に出張するには躊躇する新型コロナウイルス感染症の新規感染者数で、病院でも医師1名の退職に伴い仕事がやや増えて忙しい時期と重なり、昨年同様、オンライン参加した。その後、オンデマンドで、宿題講演や特別講演等を拝聴して、大いに勉強出来た。

 特に、興味を持てたのは、日本がん学会理事長で藤田医大がん医療研究センター・遺伝子制御の佐谷秀行先生の特別講演「がんの不均一性と治療抵抗性に対する治療戦略」であった。

 私の理解出来たことが正確かどうかは自信がないが、要約してみた。

 

特別講演「がんの不均一性と治療抵抗性に対する治療戦略」

佐谷秀行

 癌細胞の生存戦略は、大きな遺伝子変異がなくて、エピゲネチックな変異を示し、免疫から逃避する。因みに、がん幹細胞は、治療抵抗性が強く、生育がスローであり、ABC トランスポターやALDHを発現し、免疫逃避し、酸化反応からも逃避している。活性酸素種(ROS)に富んだ癌細胞では、ミトコンドリア遺伝子に変異が生じ易く、するとROSがミトコンドリアで増加する。この状態で、脂質が酸化を受けると、リン脂質二重膜である細胞膜にも損傷が生じ、細胞死が生じる。これも、内的ROSによる細胞死であるFerroptosisの一つだ。

 所謂、がん幹細胞のマーカーとされるCD44vとALDHは、がん幹細胞のROSを減らしている。

 CD44のスプライス変異分子(variant form)であるCD44-v8-10.はxCT チャンネル分子と結合して、そのチャンネルからシステインの細胞内流入が生じ、そのシステインからグルタチオンが生成され、抗酸化反応が生じ、内的ROSが抑制される。

 EGGR-xCT を発現する脳腫瘍細胞株で、CD44v を加えてxCTをブロックすると、内的ROSが生じることで、その脳腫瘍細胞株の増殖を抑制し、転移も抑制する。

 スルファサラジンはxCT阻害剤であり、CD44vは、ヒストン修飾の結果、エピゲネチックに発現制御される。スルファサラジン抵抗性の内的ROSが低いがんで、ジクロニンを加えると、その抵抗性がキャンセルされる。このジクロニンは口腔内麻酔薬であり、ALDHに結合することが知られている。ジクロニン同様に、アロマチック結合する薬剤であるオキシフェドリンはALDHの阻害剤である。従って、スルファサラジンとオキシフェドリンは、CD44v陽性でALDH陽性のがん幹細胞の有力な制がん剤剤であり、数年の内に、治験が計画されている。

 

 がん幹細胞の治療抵抗性はよく知られたことで、そのがん幹細胞の制がん剤が確立されたら、非常に大きながん治療のエポックあると思われる。

 他方、昨今のヒト癌の研究で、キー分子等の拮抗薬を利用して、細胞株での実験で、その治療法の確立を目指す研究が流行りのようである。確かに、ヒト癌を研究するならば、その治療法や有効な薬剤の開発につながる研究をしろという風潮とそんな研究にしか研究費がつかないと言うヒト癌の研究者にとって頭の痛い問題でもあるが、それができる段階まで病気を研究する必要があるのは当然である。

 また、癌介在マクロファージや繊維芽細胞の中には、iNOS陽性細胞があり、その産物であるnitric oxide (NO)がシグナル分子として周囲の癌細胞の抗酸化能に影響する場合もあり、生体内のがん幹細胞へのアプローチには、具体的に治験に先行するか平行して行われる非臨床試験で、その細胞性微小環境の検討も必要になるのかなと思われ、その段階で、がん組織の特性により、そのアプローチが有効と有効でないがん種が区別されて来るのかなと思われた。

 

 そう考えても、抗がん幹細胞薬の治験が始まる時期になったことは、がん医学医療の新たな頁が開かれたようだ。

 

臓器別病理診断講習会の滋賀医大の松原亜季子先生の「十二指腸上皮腫瘍の病理診断」も、大変興味が持てた。十二指腸の上皮性良性腫瘍/腺腫の病理診断が、胃と腸の上皮を粘液と抗原で胃型と腸型胃型に、更に胃底腺型と幽門腺型に免疫組織化学的に判別が可能となり、10年前には研究レベルの話が病理診断に導入されて、それに悪性化の情報も加わり、大いに興味が持てた。特に、鋸歯状腺腫や胃型腺腫で、悪性性格病変の存在があきらかになって来ているようだ。胃型腺腫の腺窩上皮型腫瘍は、日本では、胃と同様に、腺癌に診断され、NUMP (neoplasms of uncertain malignant potential)は、胃底腺型腺癌と診断される。十二指腸の腺腫は稀なほうの病変だが、その病理診断をする場合にも、また、その病理診断に遭遇した時には、十二分な注意をはらう必要がありそうだ。

 


2021海外学術調査フォーラム・フェスタ(2021年6月20日、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)オンライン参加

 2021海外学術調査フォーラム・フェスタは、未だ新型コロナウイルス感染が社会的な免疫状態にないことから、自宅からのオンライン参加することにした。

 星 泉(AA研 所長)の挨拶で、従来から親身にして頂いてきた人間文化研究機構理事の窪田順平先生が2021.5.25に急逝されたことが報告された。

田島和雄先生(当時、愛知県がんセンター副所長)から講演依頼があり、“SARS報告”を2003年の海外学術フォーラムで講演することになった時に、具体的な講演の準備等でお世話頂いたのが海外学術調査フォーラムの担当の窪田順平先生であり、それ以来、海外学術フォーラム・東京外大AA研の海外学術調査専門委員(学外委員、医学領域)として活動して来た。この新型コロナ感染症のパンデミックの最中の2021海外学術調査フォーラムでその窪田順平先生の急逝を知ることになり、ご冥福を願うと共に感慨深いものがあった。

 

 フォーラムの3つの講演、帯広畜産大学の平田昌弘先生の「乳文化の視座からの牧畜論考」、名古屋大学の中塚武先生の「高分解能古気候復元による歴史学・考古学の新たな展開」、東京外大の河合香吏先生の「人類進化理論の新展開:社会性の起源と進化の事例から」は、それぞれ興味ある話題であったが、専門外の参加者としては、やや発表時間が短かったの印象が残り、専門用語が多くて、充分な理解が出来ずに、消化不良の感があった。しかし、ラウンドデイスカッションで、個々の質問への発表者の回答で、ある程度の理解が得られたものと思われる。願わくは、一つのテーマに1時間程度の講演であれば、より理解が深まると思われ、フォーラムのオンライン開催の次の機会があれば、その改善点と考えられた。


 午後のこの海外学術フォーラムの前身である海外学術総括班の流れからの全体会議の日本学術振興会担当者の「科学研究費の執行についての説明と質疑応答」があった。この新型コロナウイルス感染症の世界的なパンデミックにて、ただ単に海外調査は難しいとして却下された研究計画申請があったのかとの質問に対して、一般論として、そう云ったことはないということであったが、実際に、審査結果が開示されたものの中には、それを理由に挙げていたものがあったようで、審査員への通達が十分には浸透していないものがあったようだ。


 その後、例年であれば、地域別分科会に分かれて、話題提供の講演と参加者間での学術的な話題の交換が行われてきたのであるが、今年は、フェスタとしてポスター発表+15分の説明の形式で行われた。5つのZoomでのDiscussion Roomsに分かれて、それぞれで3つのポスター発表が行われた。

 今年のフェスタのポスター募集で、応募が少ないと云うことでもあり、ヒト癌の全遺伝子解析が可能な時代になり、病理疫学的研究と云うと、かび臭い研究と思われるかなと思い、関係しているヒト乳癌の研究に関して “ヒト乳癌の病理疫学的研究の新たな戦略”と云う表題をつけて、病理疫学研究も捨てたものではないことを発表することにした。

 

 2021年海外学術フォーラム・フェスタ(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、フェスタオンライン発表、2021.6.20)で、ヒト乳癌の病理疫学的研究の新たな戦略A new strategy in the path-epidemiological study of human breast cancer、蓮井和久(鹿児島大学)、王嘉(大連医科大学)、原博満(鹿児島大学)を発表した。この発表は、3つの世界的なヒト癌の全ゲノムデータベースを、解析ソフトを開発しつつ、変異の意味の理解には多くの医学・生理学的データベースの参照し、ヒト癌の全ゲノム解析結果を報告したThe ICGC/TCGA Pan-Cancer Analysis of Whole Genomes Consortium Collaborators expand. Pan-cancer analysis of whole genomes. Nature 578; 82-93, 2020.の中からヒト乳癌の全遺伝子解析の現在の状況を抽出し、実際のヒト乳癌での臨床病理学的特徴とその治療方法の現在の関係を病理診断プラクチスから要約して、我々の考える病理疫学的研究の方法とそれから導き出される研究成果について考察した。少し15分のズーム発表に入りきれなかったが、ポスターを提示してあったので、興味も持たれた方々には理解して頂けたと思われた。質問が3つあった。

 

(質問1)中国のヒト乳癌はホントに違うのか? 

これから我々の新たな戦略の病理疫学的研究で見つけ出すと回答した。しかし、一般に中国での悪性腫瘍は発展途上国型の増加傾向を示し、より若年患者が多いことから、上記のヒト癌の全遺伝子解析の一つの結論である遺伝子の変異量と診断時の年齢に強い相関があることは、より若い患者という意味は、より強い発癌因子の影響下に短時間の多くの遺伝子変異が生じていることを意味し、ステージ別の患者の診断時の年齢の順位検定で、同地域内でのヒト癌に集積した遺伝子変異の量と質的な差の有無が、外的発癌要因による問題か遺伝背景や生活習慣といった各個人の内的発癌要因による問題かを、ヒト癌のステージ別で評価できることを示唆した。

(質問2)ヒト乳癌の治療と今回の発表内容と関係は?

今回、病理診断プラクチス等から要約した治療法に関して、まず、早期診断そして早期治療が原則であることを説明した。化学療法が必要な場合には、現在始まっているがん関連遺伝子のパネル解析により、ドライバー遺伝子情報等から適切な化学療法が選択されれば、より治療効果が期待されると共に、標準治療から初めて幾つかの化学療法剤を使用する場合と比較して、医療経済的にも意味があると説明した。

(質問3)何か言いたいことは?

ヒト癌の発生する組織におけるプログラム細胞死に関しては、十分に検索されておらずに、我々の新戦略の病理疫学的研究の方法も、細胞増殖と細胞死のバランスの崩れが過形成病変を生じ、その中に、がんが発生するのを幹細胞、がん幹細胞のマーカーや細胞死のマーカー、それに、酸化DNAマーカー等を用いて検出ものであると説明した。

また、免疫学的チェックポイントからの逃避による癌細胞の免疫学的サーベイランスを、早期癌病変での免疫学的癌細胞の排除像を検索することは、そう云った免疫学的癌細胞の排除像が認められないのであれば、早期癌の段階から免疫学的チェックポイント療法の導入が期待されるし、それは、癌ワクチン療法の開発にも将来的には発展していく研究の端緒になると思われる。

 

発表の準備と発表で、ヒト乳癌をテーマに挙げたが、どうも我々の新戦略の病理疫学研究の方法は、今後のヒト癌の研究方法の一つであり、現在の人体病理学での免疫組織化学診断学とは異なる、もう一つのヒト癌免疫組織学的(分子病理疫学的で免疫組織化学的な)研究分野であると思えた。

 

参考文献

ICGC/TCGA Pan-Cancer Analysis of Whole Genomes Consortium Collaborators expand. Pan-cancer analysis of whole genomes. Nature. 2020 Feb;578(7793):82-93.

黒住昌史 免疫組織診断とsubtype分類 pp.38-43, 堀口敦 乳腺温存療法と予後 pp56-62. 癌診療指針のための病理診断プラクティス 乳癌 専門編集 黒住昌史、総編集 青笹克之, 中山書店、2011

 

 


鹿児島日独協会創立50周年記念(2021.4.25)

新型コロナウイルス感染症の第4波が襲来する直前の2021.4.25にかごしま県民交流センターで開催された。大きな会場で、3密を避けての開催であった。

 第1部は、ドイツ室内管弦楽の生演奏を久しぶり楽しんだ。このコロナウイルス感染症のパンデミックの隙間をついての開催で、やや緊張感もあり、つい寝入ってしまう時もあった。音楽関係者は、久しぶりのコンサートであり、かなり興奮気味の趣きもあった。ドイツの夏の週末を過ごした田舎町での教会での小さなコンサートを思い出し、ドイツ旅行は少なくとも2年後かなと思った。

 第2部の野口芳子氏の幕末にベルリンのヤーコブ グリムを訪ねた3人の日本人がいて、これが日独の文化交流の先駆けとなると思われるそうだ。この3人の日本人は、日本側に記録がないが、ヤーコブ グリムの家族の手紙にそれを示唆する文章があるそうだ。その3人とは、幕末の1861年の幕府の遣欧使節団に参加した陪臣である福沢諭吉、松木弘安(寺島宗則)、箕作秋坪であるようだが、慶応大学を創設した福沢や専修大学を創設した箕作らの報告書や著書にもその記述がなく、幕臣でなかったことから日本では記録に残せなかったと推測されるそうだ。また、この3人と関係者がグリム童話を日本に紹介し、ヤーコブ グリムの共通言語、教育、法律といった分野の功績を、ドイツ的教育として明治期に導入したと考えられるそうだ。詳しくは、大野寿子編 グリム童話と表象文化の中の野口芳子の同名の論文を参照下さい。

 

 日本の歴史の見方が外国の記録から大きく変わって来ることは、

1) 日本の戦国時代末期とアジアでのスペインとオランダの覇権を争った背景に信長、秀吉、家康のキリスト教対策と日本の銀、優秀な堺製種子島火縄銃等での日本の軍事力があってことが、イエズス会記録やオランダ東インド会社の記録から明らかになって来ていること、

2) 明治維新でも、先月急逝された下竹原啓高氏が言うように、幕末から明治への維新の背景に、アメリカ南北戦争の終結で、余った最新式銃等の薩摩の豪商の濱崎太平次の日本と東アジアにまたがる国際的企業“ヤマキ”による導入が大きく明治維新の原動力になり、これは、恐らく、イギリス東インド会社の記録やトーマス グラバーの記録に記録があるものと思われる。

3) 明治期でも、昨年度末に急逝された村田長芳名誉教授が講演されたことのある明治期の高木兼寛と森鴎外の脚気論争の後日談の鈴木梅太郎のオリザニン発見がノーベル賞の受賞者選考記録から日本からの推薦がなかったことで受賞を逃したことが判明している。

 こんなことを思いつつ、明治期のドイツ傾倒も、まだまだ、多面的な出来事であった可能性が高いのかなと思われた。

(講演後のロビーでの野添良隆先生と野口芳子氏の交流)


病理学会2021

2021年の日本病理学会総会は東京の京王ホテルで4月22日〜24日に開催されると共に、ウェブ開催され、ウェブ参加した。

この期間は、自宅で、コンピューターの前で、ズームのオンライン参加で、興味のあったシンポジウムや特別講演、宿題講演等を聴取した。その後、オンデマンドで参加可能なもので、専門医更新に必要な単位の取得を行なっているが、学会に参加しても同時間に開催されるものから一つしか参加できないが、オンデマンドで提供される講演は網羅的に聴取出来て、勉強になるようだ。今後、このオンデマンドでのWeb開催は続けて行って欲しいと思われた。

 オンデマンド配信されない講演で興味が持てたのは、やはりAI化の現状に関する講演であった。内視鏡や画像診断ではデイープラーニングの手法もかなりの進歩があり、AIアシスタントでの内視鏡検査や画像診断は、既に実用段階であることが報告された。同様に、病理標本の診断に於いても同様な進歩が見られていた。しかし、異口同音に、デイープラーニングに用いられた診断に依存しており、複数のシステムでの対比的な統合は、困難なのか?まだ、試されていないのか?興味があるところであった。所謂、癌診断では早期病変の認識や確定診断とされる所見等での差は乗り越えられない問題であれば、より客観的な癌診断の方法の確立が必要なのかなと思われた。

 遺伝子解析でのAIの導入は、所謂、癌の遺伝子パネル解析では個々の癌に最適な化学療法の選択に活用され始めているが、エクソン解析後の98%をも占めるゴミ領域と呼ばれる非コーヂング領域が遺伝子モンタージュ等で遺伝子の発現調整をになった領域であり、エピジェニックと表現される機構の本体であり、全遺伝子解析で対応する必要があるのだそうだが、充分に研究されていない領域であり、特定のスーパーコンピューターのプログラムで可能なものもあるようだが、商業ベースで維持が難しく、何時まで利用可能なのか不透明なのだそうだ。しかし、病院のAI化に伴い先端的診断・治療を推進していく病院では、全遺伝子解析と世界中の研究の網羅的検索が行われるようだ。そして、非コーヂング領域の遺伝子の機能解明に従って、先端的診断・治療が進歩して行くようだ。

 リキュウイッド バイオプシーでは、循環腫瘍細胞よりも、やはり、環境DNAの手法とエクソソームのマイクロRNAを対象としたものが現実化して来ているようだ。早期がんの段階でもがん細胞は特有なマイクロRNAを含むエクソソームを分泌しているのだから、有望だ。今後を期待したい。

 


奥村晃久先生を偲ぶ会(敦煌会8月例会、令和2年8月16日、和くうかん)

 奥村晃久先生が、令和2年7月28日早朝に亡くなられた。令和2年4月25日には、快気祝いを敦煌会有志で行い、元気な姿を見ていましたが、その後、再度入院され、時折の電話やメールでは、すくなくとも今年の暮れまでは頑張れそうと話されていました。7月28日に先生の訃報の連絡を受けて、そんな、早すぎると云った思いではありましたが、通夜に敦煌会メンバーと駆けつけて、その受け入れ難い先生の死を確認できた次第でした。法事であれば、49日とでも言うべき日ですが、令和2年のお盆明けに企画された敦煌会メンバーの瀬戸口さんのぶどう園でのぶどう狩りの機会に、国分の和くうかんでの偲ぶ会を行い、奥村晃久先生の好きだったビールで、お盆での見送ることが出来ました。先生らしい偲ぶ会でありました。(写真は、大学院のイスラム圏女子教育プロジェクトの専門基礎抗議の打ち上げに参加されて、学生さんとビールを楽しみながら、交流されている奥村先生。2014.8.21. カフェ アーバーで。)

 奥村晃久先生は、国際学術活動にも熱心で、国際分子病理学シンポジウム、日中病理学シンポジウムのパルピン、長春、瀋陽会議に参加されると共に、私達の中国東北地方のヒト悪性腫瘍の病理疫学的学術調査にも参加されて、文化交流と共に学術交流でも、大きく貢献されました。更に、出雲周二先生の中国のHTLV-1関連疾患、特に、HTLV-1-associated myelopathy (HAM)を見出そうと云う海外学術調査でのHTLV-1 meeting in Chinaには、私と一緒に参加されて、彼の卒後間もない時期に派遣された奄美の古仁屋で、当時未だ認識されていなかった成人T細胞白血病に遭遇し、変わった白血病と思われて、臨床記録等を保存されて来たそうで、その貴重な経験を発表された。

 その一方で、学生時代からの社会医学研究会からフィールドワークに重きを置いていて、堂園先生の”風に立つライオン”プロジェクトに賛同されて、実際にインドでの学生研修に協力され(この話は、鶴陵会報に報告されている)、故中村哲先生のペシャワールの会に賛同して、アフガニスタン訪問は出来なかったそうだが、パキスタンまでは行かれたそうだ。

 

 また、佐藤榮一門下として、鹿児島生協病院病理部長時代には、故佐藤榮一教授の叱咤激励を受けて、病理解剖症例検討会を実施されて、興味深い症例を記録し検討された。更に、私の大学院での専門基礎の講義を受けたイスラム圏の女子教育プログラムの学生さんとの打ち上げにも参加されて、国際交流に貢献され、敦煌会でも、アクティブメンバーとして活躍されました。


敦煌会7月例会一泊旅行と講演(明治維新と濱崎太平次)

鹿児島で新型コロナウイルス感染症の発生のない日々が続いていた6月中旬の例会(中華菜坊陸羽、6月17日)に指宿白水館の下田原社長が野添先生の誘いで参加されて、大いに盛り上がった。その結果、7月例会は、白水館への一泊旅行で、下竹原社長の“明治維新と濱崎太平次”と題した指宿ゆかりの薩摩藩の幕末の豪商であった濱崎田平次についての講演を企画することになった。

 日程等や予約の方法の打ち合わせを行なって、7月例会の案内を出していた所、鹿児島県知事選挙の応援の集会後に多数の者が老舗のニューハーフのショウパブで気勢を上げた挙句に新型コロナウイルス感染症の100人規模のクラスターが発生した。クラスターでは、一部で3次感染が生じたが、一週間程で収束して来たが、老人介護サービス施設にも、県外から新型コロナウイルス感染症が持ち込まれたが、十人単位のクラスターで収束していたことから、数名で集まり、検討して、会場も特に感染の危険性も十分に配慮されたホテルであり、実施を決めて、予約等をホテルの予約センターに申し込むことになった。開催の日程が、丁度、国のGoToトラベルに該当することが判り、社長にGoToトラベル企画に参加予定であることも確認されて、丁度良いタイミングの一泊旅行となった。しかし、当初は20名を超えそうであった参加者は、日帰りの3名を加えて12名となっていたが、参加者の2名が、それぞれ、老人介護サービス施設での新型コロナウイルス感染症の直前の発症があり、その利用者の家族はPCR検査は陰性であったが、その家族の介護サービスが中止となり、その分の対応で、参加者予定者が参加出来なくなった。最終的な参加者は、佐藤夫人、厚地夫妻、吉村先生、坂江夫妻、野尻夫人、野添夫妻、蓮井の10名となった。

 7月25日(土)、午前中の病院の診療を終えて、急ぎ帰宅して、迎えに来た通称森山バスに乗り込み、指宿へと向かった。今回は、参加者全員が、この森山バスに乗って行けた。午後4時前に、白水館に到着した。ホテル玄関には、アルコール消毒、テレビモニターでの顔色での発熱チェックがあり、フロントのあるロビーでは、ひとつ置きの座席、チェックインの混みを避ける並びの動線が指定されていた。チェックインの手続き中に、下竹原社長のお迎え受けて、野添先生は、早々に、社長の講演は、ホテルの他のお客さんにもアナウンスして聴衆を増やそうかと相談されていたが、三密を避ける為に、この敦煌会のメンバーに森山バスの運転手の森山さんの参加で適切と言うことであった。

 

 チェックして、別棟の離宮の部屋に入り、先ずはのんびりした。この離宮には、貴賓室はないが、最上階に、小泉首相時代の日韓首脳会議の参加者やロシアのエリチン大統領夫妻が宿泊されたそうだ。

 下竹原社長の講演“明治維新と濱崎太平次”は、30名前後の定員の会議室で、ゆっくりした間隔で座して、6時過ぎから45分余りで行われた。

 薩摩藩の琉球支配体制が、藩財政に逼迫した斉興の時代に、茶坊主の調所笑左衛門を家老にして、表裏の財政改革を行った。その一つが、密貿易であり、それを担ったのが没落していた山木屋を琉球の黒糖業者と富山の出汁昆布業者の間の物流を基礎に、琉球から中国(上海、廈門、広東)とフィリピンのルソンに支店を展開(現代の商社の先駆けを組織)した濱崎太平次であった。1) この時期は、アメリカ南北戦争でアメリカ南部の綿花生産・供給の低下で上海市場での綿花暴騰が起こり、濱崎は国内の綿花を二束三文で買い集めて上海市場で売り抜けて、800億円相当の蓄財を行った。この時期には、表裏の財政改革に成功しては財政は蓄財が始まっていた。更に、2) アメリカ南北戦争の北軍の優勢が決定的になったゲチイスバーグの戦い以降、イギリスの南郡への武器や船舶の供給を停止し、ダブついたこれらに加えて、アメリカ南北戦争終結後のリンカーン大統領による余った最新の武器の売却決定を受けて、長崎のグラバー(イギリスのジャーデイン・マイセン社(東インド会社)の長崎支配人)を介して、綿花暴騰等での蓄財でイギリスとアメリカから船舶や最新の武器の購入に到った。これが、薩摩と幕府との最新武器での格差を生じた。幕府はその最新武器での格差解消をフランスへの借金で賄おうと画策するに至った。

 斉彬の密貿易の幕府への密告で、調所笑左衛門は切腹し、濱崎太平次は上海へと身を隠した。彼らの薩摩藩への蓄財はその後も継続していたと考えられ、その薩摩藩の蓄財が明治維新を引き起こす財源になったと考えるのが当然のようであると言われる。明治維新は、斉彬、久光の藩政下での西郷・大久保らの良く知られた明治維新の表の物語と共に、薩英戦争、薩摩英国留学生派遣、パリ万博での幕府と薩摩琉球国の抗争の結果であると理解されるのだが、調所笑左衛門と濱崎太平次の功績は忘れてはいけないものであるそうだ。

 更に、濱崎太平次は、明治維新の4年前に大阪で客死しているのだが、彼の山木屋の大番頭だった川崎正蔵は、濱崎太平次の死後に退社して、川崎郵船を興している。濱崎太平次の」山木屋は現在の商社の先駆けであったが、既に、分社化にも対応しており、濱崎太平次の客死後には、彼の血縁者に関する記録もなく、大番頭だった川崎正蔵がその 分社化の構想を実施したのではなかろうか。その後、川崎グループを率いた松方幸次郎が巨万の富を得て、松方コレクションを作っている。これは、幕末期の豪商である濱崎太平次の先見性が、現在の日本の文化コレクションの確立にも寄与しているようだ。

 

 下竹原社長は、若い頃に、三菱商事に勤めていて、経済からの視点でも明治維新を理解する必要があると考えているそうである。

因みに、日本史の中で、何故と思われる秀吉の朝鮮出兵?や徳川幕府成立後の過剰となった戦国武士は?と言った問題が、スペイン王のキリスト教を浸透させて、種子島銃を日本刀鍛治職人の技術によるヨーロッパ銃よりも優れた改良種子島銃等で武装した日本人による中国征服案があったが、秀吉がその戦費をスペインの支配下のフィリピンから調達しようと計画したことと共に、スペイン王と秀吉の死により頓挫したが最近のヨーロッパでの記録の発見で明らかなり、、また、スペインと競合し台頭したオランダの東インド会社による余剰戦国武士の傭兵がインドネシアの世界の香料貿易の拠点のスペインの城砦の攻撃に動員され、石見銀山の銀がオランダ東インド会社の世界戦略の経済を動かしたことも、最近ヨーロッパで発見された資料から明らかになっている。これらは、明治維新も、濱崎太平次の環東シナ海商社として山木屋の商業活動とイギリス東インド会社と薩摩藩の経済革命との視点も明らかにされるのだろうなと思われた。

 

 講演を記念して、野添夫人が敦煌会を代表して、花束の贈呈を行った。

 その社長の講演の話題は、夕食会である敦煌会例会での活発な会話を誘導して頂いた。少し興奮した会食と会話を終えて、その後、鹿児島に帰られる佐藤夫人と野尻夫人を見送り、各自は客室に帰り、お酒も入ったこともあり、風呂は明日の朝として、早々に寝ることになった。

 

 翌朝は、6時過ぎには目覚めたので、大風呂に行き、美味しい朝食を摂ってロビーに来たら、下竹原社長が、薩摩伝承館に、パリ博覧会での薩摩琉球勲章の本物と幕府も企画したが幻に終わった勲章のデプリカが2階に展示してあるので一緒に見に行こうということになった。歴史家でもあった先代社長の誕生日を記念してこの薩摩伝承館は建てられたもので、時にコンサートも開かれる一階があり、焼き物等も展示されている2階にその勲章を見ることが出来た。

 

 また、白水館は、メデイポリス国際陽子線治療センターの宿泊施設の運営も行っていたので医療観ツーリズウムの実情を聞いてみると、既に400例ほどの中国からの患者の治療逗留の実績が積みあがってきているそうだ。

 

 

 

 

 

 その後、GoToキャンペーンでの還付申請に必要な書類をチェックアウトで受け取り、下竹原社長の見送りを受けて、森山バスでホテルを発った。殿様湯と言う今も入浴出来る温泉の脇の江戸時代の温泉跡を訪ねた。海岸に建つ濱崎太平次像を見て、市街地の公園の一部にある濱崎太平次のお墓を参拝し、濱崎太平次の旧宅跡は市街地の中で判然としなかった。

 

 

 

 

 

 指宿駅前の蕎麦屋長寿庵で昼食をとり、鹿児島に帰って来た。


名倉宏先生が亡くなられた

 

名倉宏先生が亡くられたとの連絡が次女さんからあった。闘病中にも、国際分子病理学シンポジウムで訪れた街々の思い出を、旅番組を見ては、語られていたそうである。名倉宏先生のご冥福を願いたい。

 

国際分子病理学シンポジウムに関しては、その記録や報告は、鹿児島大学リポジトリにアップロードされているので、敦煌会議、成都・九寨溝会議、昆明・大理・麗江会議、ウルムチ・トルファン会議、鹿児島会議、西寧会議にて、ネット検索が可能になっている。

 

 この国際分子病理学シンポジウムの日本側の病理関係者では、そもそもの発起人であった東海大の渡辺慶一先生、福大の菊池昌弘先生、熊大の高橋潔先生、鹿大の佐藤榮一先生に次いで、東北大の名倉宏先生が亡くなられた。この世代の病理の先生方は、めっぽう教育熱心で、皆さんが中国からも留学生を受け入れた経験があり、留学生が帰国後も、交流を続けられておられた。このシンポジウムを機会に、帰国している留学生を訪ねることがしばしばあった。きっと、この面々は、天国でも、国際分子病理学シンポジウム天国分科会でもやっているのだろうと思われる。

 

 私の名倉宏先生とのもう一つの接点は、免疫組織化学である。血液病理を専門にする一方で、研究方法として、組織化学を用いて、HTLV-1関連病変の解析を行なって来ている。取り分け、HYLV-1 pXの産物を検出しようとして、旧西ドイツのリューベック医科大学のフェラー教授の教室のメルツ教授にImmunoMax法を学び、更に、改良したsimplified CSA法を確立したりしていた時に、大学院基礎専門課程での講義として、酵素抗体法のヒト病理組織への応用解析と云った講義を持つことになった。その講義の所謂教科書として、名倉宏先生らが編集された酵素抗体法を使わしていただく了解を頂いた。その講義の講義資料は、鹿児島大学リポジトリにアップロードされている。その後の大学院でのイスラム圏の女子教育プロジェクトにて、その講義は英語での講義となった。こちらは、まだ論文にしていない部分があり、講義資料のリポジトリへのアップロードは行なっていない。近々、論文化を行って、講義資料のアップロードを行いたいと思っている。

 

 したがって、名倉宏先生の思い出は、国際分子病理学シンポジウムでの後会議での次開催に関してのご示唆と共に、酵素抗体法の先生といった側面がある。最近の抗原回復免疫組織化学は、ほとんどのヒト蛋白を固定パラフイン包埋標本切片で標識出来る抗体が作成されていて、抗原回復の適切な選択と適切な抗原検出感度の検出系を選択すれば、ほとんどのヒト蛋白等の局在を、病理組織切片で標識することが可能になっている。従って、実際の研究では、抗原回復別と検出感度別のコントロール染色の提示が必要になっている。最近のヒト悪性腫瘍の全ゲノム解析にて、腫瘍細胞の増殖に関与するドライバー遺伝子や変異等は、今後の化学療法等での最適な薬の選択に寄与するだろうが、腫瘍細胞の微小環境や抗酸化反応等におけるドライバー遺伝子や変異は、今後のヒト悪性腫瘍の治療の標的であり、その解明には、ヒト病理組織標本での酵素抗体法が有用なツールとなると思われ、酵素抗体法の開発の先人達の業績の再評価が行われるものと思われる。


観音ヶ池千本桜 2020.4

 

2020年の春は、新型コロナウイルス感染症の流行で、会合や宴会の自粛に加えて不要不急な外出の中止で、穏やかに生活を過ごす日々である。

 

オーストラリアでは、ランダムに選んだ人々をPCR検査して、顕在化している新型コロナウイルス感染症患者数の2倍の感染があることが示唆され、USAでは、大規模な抗体検査で初感染者と既感染者の実態の解明が企画されている。日本では、患者のクラスター分析と対応・加療で、関東と近畿では患者数の急増とそれに見合った医療機関の体制が追い付かない状況が生じ、医療機関での院内感染等も生じている。

 

一方は、鹿児島では、県外からの少数の患者が確認されるのみで、クラスターは生じていないようだが、昨年暮れからの中国からのインバウンドに由来する顕在化しない感染が存在する可能性も示唆されている。

 

 しかし、桜の季節が来ていて、観音ヶ池千本桜も風情のある満開を迎えていた。このひと月で、新型コロナウイルス感染症の終焉が期待されるところである。


ヒト癌全ゲノム解析論文

 

新型コロナウイルス感染症が世界中を巻き込んでいる状況ですが、1月にネットのニュースにヒト癌の全ゲノム解析の総説的な論文(The ICGC/TCGA Pan-Cancer Analysis of Whole Genomes Consortium. Pan-cancer analysis of whole genomes. Nature 578; 82-93, 2020.)が出たとあったので、読んでみることにした。

 次世代シーケンサー解析の初めてのまとめ的な論文であったが、ドライバー変異遺伝子の検出では、まだ、アルゴリズムや解析ソフトの未熟さから、既に解明されているものは、その候補リストに加えて検討したそうである。平均して、一つの癌種で、4~5のドライバー変異遺伝子等が見られ、従来の多段階発癌仮説で云う独立したヒットに相当するのかなと興味が持たれた。また、変異の生じ方にも、巨視的なパターンがあるそうで、従来のウイルス感染等でのゲノムへのウイルス遺伝子の侵入へのAPOBEC3B等での修復が結果的には遺伝子変異が生じることなども、その巨視的な変異のパターンの一つに挙げられていた。また、分子時計的な解析結果の評価方法では、ある癌化前に生じた変異は多くのコピーが生じて検出頻度も高いが、その後の変化(プロモーションやプログレションでの変異はコピー数も少なくて検出頻度も低くなり、深い検出解析が必要となると言っていた。また、変異遺伝子が対象だからかもしれないが、癌の複製不死化ではTERT関連の変異が挙げられていたが、低悪性度や慢性型の癌種では恐らく細胞死からの逃避による不死化は遺伝子変異の側面からは解決できない問題なのかと思われた。

 

 血液病理分野での成人T細胞白血病の全ゲノム解析結果も論文になっているようで、その翻訳レビューもネットで読めた(Kataoka K et al. Integrated molecular analysis of adult T-cell leukemia/lymphoma. Nature Genetics 47, 1304-1315, 2015. 成人T細胞白血病における網羅的な遺伝子解析、片岡圭亮、小川誠司、ライフサイエンス新着論文レビュー)。残念ながら、上記の論文の分子時計的な解析は行われていなかった。

 

短絡的かもしれないが、正常T細胞、生体内のHTLV-1感染T細胞、慢性白血病型、急性白血病型に分けての全ゲノム解析でのそれぞれの対比的解析で、癌化前のドライバー変異遺伝子等の蓄積の状況、癌化での重要なドライバー(変異)遺伝子、そして、プログレションで生じたドライバー変異遺伝子と整理することで、HTLV-1の発癌の特徴の解明とそれぞれの病期での治療における標的ドライバー遺伝子が明らかなになってくるのかなと思われた。

 


第29回北前船寄港地フォーラムin鹿児島(2020.2.2城山ホテル鹿児島)

 

午前の部の「北前船と鹿児島」をテーマに、以下の鹿児島の壮々たる歴史家によるパネルデイスカションが行われた。コーデイネーターは、志学館大学教授の原口泉で、パネリストには、西郷南洲顕彰館館長の徳永和喜、鹿児島市維新ふるさと館前特別顧問の福田賢治、尚古集成館館長の松尾千歳、西郷隆盛研究家の安川あかねであった。薩摩藩の財政改革の中で、家老の調所広郷による認可されていた琉球口での北海道の昆布やアワビを北前船で仕入れて中国に売り込んだものが、北前船の琉球を経た中国への航路延長を意味すると言うことであるようだ。ただ、北前船は沿岸に沿った航路を行く千石船であるが、琉球と中国の間は、外洋型のジャンク船であるが、薩摩と琉球の間は外洋航行が可能だった薩摩型の千石船があったのかなと思われるそうだ。この調所の時代と西郷隆盛の時代は重なっておらずに、維新前まで、奄美の黒糖の専売による薩摩藩の蓄財も続いていたようで、調所の薩摩藩の財政改革は維新への原動力であったことは揺るぎないものであるようだ。

 

 

基調講演2は、歴史家 磯田道史の「なぜ薩摩は強い国か」と大変興味ある講演であった。

 

 北前船は、本来、瀬戸内の農業で、綿花栽培に魚肥が必要になり、当初は千葉から入れていたが、千葉でも魚肥を要する様になり、北海道のニシンを魚肥にと言うことで、北前船が発展したのだそうだ。

 

 この綿花栽培は米栽培で依存した各藩の石高が決まり、それ以外の農産物への税金がかからない江戸時代の税制により、米作以外の農業ができる農民は富んでいたのだそうだ。ここで、この米作以外の産物から藩収入を増やす方策を実施出来た藩が「強い藩」であったそうだ。

 

また、米作に依存していても、肥後の藩士教育による藩政の改革が財政改革も成し遂げたそうで、蔵の外にまで米俵が積みあがって肥後藩邸を見て、長州や薩摩藩は、肥後藩に学び、藩士の教育レベルを上げたそうで、これは、調所の財政改革よりも50年先行して実施されていたそうである。

 

 更に、維新前夜の薩摩の実情を探った密偵の報告が見つかっていて、薩摩の貧困ぶりは相当なものであるが、米作よりもサツマイモで生きて行ける背景があり、奄美の黒糖や琉球口での中国貿易で藩の専売体制を築き易い市場から遠いと言うこともあり、薩摩藩の財政を豊かにしたと考えられるのだそうだ。

 

 藩士教育、財政改革に加えて、薩摩の郷中教育も、直面した問題への多面的な解決策を先んじて考える習慣を育む側面があり、西郷隆盛等の郷中教育世代が維新の難局を乗り越えるパワーになったと考えられるのだそうだ。

 

 まだ未だ、磯田先生は話し足りなかった様であったが、眼から鱗の話題であった。

 


令和元年忘年会

令和元年、今年の忘年会も、余すところ、敦煌会の12月例会を残すのみとなり、師走感を感じている。

 鹿児島日独協会のクリスマスパーティーは、例年の谷山教会の御堂でのコンサートは、中村かしこ教授の企画による鹿児島国際大学音楽科の関係者による古楽器(リコーダー、ヴィオラ・ダ・ガンバ、19世紀ギター)によるコンサートで、特徴のある音色に聞き惚れた。その後のクリスマスパーティーで、浜松のピアノ博物館のように古ピアノ演奏のCD集等があるのかと聞いたが、まだ、作製されていないそうで、残念であった。


佐藤榮一先生を偲ぶ会

2019.11.10 佐藤榮一先生の一周忌と偲ぶ会を、百合子夫人が開催された。

偲ぶ会は、昭和8年会の吉村先生の司会で、日独協会関係の岩男先生、山原先生、友人の厚地先生、弟子の瀬戸山先生、坂江先生、米澤先生、中村先生、後藤先生、山中先生、松下先生、坂本先生、私(蓮井)の佐藤榮一先生との思い出のテーブルスピーチが行われて、故佐藤榮一先生の幅広い交友と弟子らへのそれぞれへの心ある対応が偲ばれた。


天文館公園イルミネーション2018.12


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